
- 作者: クリスチャンザイデル
- 出版社/メーカー: サンマーク出版
- 発売日: 2015/05/15
- メディア: Kindle版
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内容はタイトルの通りで、男性が女装して1年間生活してみたという実験の記録。 性同一性障害やゲイではなく、「男性であることの不自由」を理由に女装を始めるという点が他の事例と異なるように思う。 一方で、この理由は一番親しみやすいようにも思う。ありそうでなかった話かもしれない。
筆者はドイツ人で、元芸能関係のプロデューサ。身長も180cm(うろおぼえ)くらいで長身。 女装したことで、周囲の人間から冷たくされたり、逆に女性友達が増えたりといった生活の変化が興味深い。
かなり主観的な本なので、客観的学術的な汎用性はないが、それが返っていいような気がする。
僕の感想としては、この筆者はかなり好奇心が旺盛で、変人気質の強い人のように感じた。 僕も同じタイプなので思考のプロセスが近い感覚があって読みやすかった。 でも変人気質が強い人はマイノリティだから、この本の道筋がわかりづらいと感じる人も多いだろう。
筆者はもともと女性にもてる人で、「男性らしい振る舞い」もかなり体得しているように思う。 一方で、そのような振る舞いを行うこと、求められることへの疲れもあり、それから自由になるために女装をはじめたという側面もある。 「男性の開放」という言葉でこれは語られている。
男性の哀愁とでも言おうか。日本で言えば川端康成が書くのがうまいような、男のネガティブな部分をテーマにしつつ、女装をすることで女性についての理解を深めようとする。 筆者のなかにある女性と向き合い、自分自身が男性と女性の違いがあまりないという考えに至り、男性でも女性でもない自分を肯定することで終わる。
一方で女性の社会進出に関しては男性が今のポストを空けるべきだと話している。これは僕が最近考えている「地方創生よりもまず地方破壊」に近い考えで、結局一般論としてマイノリティがのし上がる最短の方法はマジョリティに席をあけてもらうことなのかもしれないと思ったりした。
この本は感想が難しい。主観的な本だから、僕としてはただ読むだけでこの本を受け入れたい。 つまり、もし友達がある日女装して僕の前に現れて、その女装論について語られたときと同じ反応をすると思う。 そうなった場合、僕は多分はじめ少し驚いて眉を釣り上げる。でもいつものようにコーヒーを入れて、お茶菓子を出して話を聞く。 で、相手が一通り話し終えたら「そうなんだ」という。それで終わり。
僕は人の話を否定もせず肯定もせず聞くのが好きだ。 大衆は誤解しているみたいだけど、人間同士は話し合って分かり合えるものではない。人間同士は理解し合うことなど出来はしない。 ”理解” とはロジックに対して使う言葉だ。人間は理路整然とはしていないし、論理的でもない。だから理解などできない。
相手が何を言っているのかわからないのが当たり前の世界に僕は生きている。 この本が主張していることの数%も僕は理解できていない。 ぼくも女装すればわかるのかもしれない。 そのくらいこの本はロジックより主観に重きを置いている。
でもこの本は面白い。素晴らしいと思う。
だから読んでくれ。たぶん人によって感想は全然違うだろうけど。 僕はマイノリティの生き様を感じた。そういう部分に共感した。