さめたコーヒー

kbaba1001's blog.

反出生主義だけど子供作るのもいいなと思い始めた件

所詮、私は結婚したら子供が欲しくなる程度の凡夫だったということです。

以上が全てだけど子供を作ることに関して自分の中で肯定的に捉えるようになった理由があったので書いておく。

前置き

反出生主義について。申し訳ないがちゃんと本は読んでないので、「生まれてきたくなかったー!」くらいの意味で使っている。

ja.wikipedia.org

以前僕の死生観について書いたけど、この考えは今でも変わってない。

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子供を作ることは100%親のエゴでしかない

以前から違和感を覚えている言葉がある。

「あなたのお母さんは子供を育てたのだから立派だ。」

みたいなやつ。

まぁいいたいことはわかる。子供を育てるのは大変だろうし、経済的にも子供が増えないと困るわけでそういうある種の社会貢献をしている。 だが、それは子供の意志ではない。子供は生まれてきたくて生まれてくるわけではないし、親を選べるわけではない。 もし親を選べるなら、もっと人を傷つけず多様性を受け入れられる親がよかったと思う。そもそも英語圏の国に生まれたかった。

だから(早速脱線するが)、「子供は生まれる前に親を選んでやってくるんだよ」みたいなスピリチュアルなことをいうやつも嫌いだ。この手の発言をするやつは一体何なんだ。虐待を受ける子供は選択する親を間違えたからその子供に責任があるというのか?養子に出された子供は優柔不断だとでも?逆に子供が欲しくても妊娠できない夫婦は子供に選ばれる価値がないとでも言いたいのか?子供は天国からコウノトリが運んでくるとでも思ってるのか。

こんなスピリチュアル野郎は論外だが、「あなたのお母さんは子供を2人も育てたのだから立派だ。」に違和感を覚えつつもうまく論破できなくてずっと悔しい思いをしていた。

だが、いざ自分(と妻)が子供を作ることについて真剣に考えるようになると、子供を育てたから立派論は根本が間違っていると感じた。 別に子供を作るときに日本の人口を増やそうとか老後の面倒見てもらおうとか自分の遺骨を拾ってもらおうとか全然考えないわ。 どちらかというともっと個人的な欲望しか考えてない。例えば、

  • 「中学生や高校生の生活を間近で見たい」
  • 「子供と一緒にキャンプしたら楽しそう」
  • そもそも自分が子供が好きそうな施設(動物園とかテーマパークとか)がだいたい好きなので行きたい
  • キッザニアに行きたい

要するに親が楽しみたいから子供がほしいってだけでしかないのだと思う。 まぁでもたぶん、こういう考えはとても現代的なのだろう。結婚や育児というものが単なる趣味になってしまったのだと感じる。

子供を育てたから立派論を口にする人は年齢が高い人が多いというのが僕の経験だが、 ほんの数十年前まで男女雇用機会均等法もなく、多くの女性が家でやることが育児と家事だけみたいな時代だったわけで、 そうなると女性の活動を肯定するには育児を義務のように語るのが妥当だったのだろう。 その文脈で言えば確かに育児は立派なのだが、もはや女性が働くのは(男性と同じ待遇とは言えない場合が多いかもしれないが)普通の時代であるし、 デフレでだいたいのものは手に入り、インターネットで好きなだけ遊んだり勉強したりできる時代なわけで、つまり男女ともに育児以外にもやりたいこと・できることが山程ある時代に、 子供を作ることはその数多ある選択肢の一つに過ぎず、社会的な義務というよりは単なる個人の趣味になってしまった。

なので、「育児には責任が伴う」「育児はめちゃくちゃ大変」「子供を成人まで育てるには2千万円必要」みたいな理由で子供を持たないという選択肢をするのは根本的に間違っているのだと思う。 それらは子供を持つことが義務であるかのように言う文脈に対する否定でしかなくて、もはや子供を持つことは趣味に近いものなのだから、当然責任は伴うし大変なこともあるし金もかかるけどもやりたければ勝手にやればいい。

先日の桜田前五輪相の「結婚しなくていいという女の人が増えている。お子さん、お孫さんには子供を最低3人くらい産むようにお願いしてもらいたい」発言も、(私は前後の文脈を知らないので切り取られた発言かもしれないが)上記の点を踏まえていないことが時代錯誤だと感じる。「結婚しなくていいという女の人が増えている。しかし子供が3人くらいいると楽しいですよ」みたいな言い方ならだいぶ印象が違ったんじゃなかろうか。

www.sankei.com

そもそも論理的に人口を増やすという目的を果たしたいのであれば、もはや20代30代がそもそも少ないからこの世代が子供を2,3人生んでもだめなわけで、「50歳でも出産しましょう!」みたいなのが正しい方向性じゃなかろうか。だからもっと子供を生みやすい社会にしてからいえみたいな批判も、最もではあるけどもちょっと短絡的すぎると思うし、日本より出産に関する社会制度が充実した国はあるが世界的に人工が減少しているところを見るとそこまで話は単純ではないと思う。僕の勝手な憶測としては、育児はただの趣味の一環になってしまったのでその趣味を選択する人が減ったという考えをしている。

だから子供を作ることは100%親のエゴでしかない。ただのおっさんが中学生や高校生に近づくには2000万円払って子育てというチケットを買うしかないのだ。

「子供がほしい」という発言を受け入れられるようになった

よく女性友達から「結婚はしたくないけど子供がほしいんですよねぇ」みたいな話をされることがあって、全くその感覚がわからなかったのだけど最近ようやく受け入れられるようになった。

そもそも僕は親に対して「生まれてきたくなかったー!」「だれが産めと頼んだんじゃボケー!」と思っている方だから「子供がほしい」なんていうのはこの不浄の世に不幸な生命を生み出すことでしかないわけで、そんな恐ろしいことはしたくないという気持ちが強い。僕の世代でさえ生きるのが大変なのに、子供の世代になるともっと大変だろうと思うからそんな苦労を負わせてまで生きさせるのは酷だと思う。

しかし子供を作ることは100%親のエゴでしかないという考えに至ってから、この「子供がほしい」という気持ちを僕なりに受け入れられるようになった。 要するに開き直ることにした。

  • 「子供がほしい」と思って作ることは、単なる親のエゴなので、生まれてくる子供の人生まで保証したり担保したりするようなものではない
  • これから生まれてくる人が生きる時代はきっと大変だろうけど、どの時代もそれなりに大変
  • 生死というのはそもそも本人の自由を離れたところにある。たとえ自殺でさえ本人の自由ではない。

僕にとって子供を作るということは、責任感のある親が愛情を持ってつくるというよりは、古臭いマッド・サイエンティストが自分の力を誇示したくて人造人間を心境に近い。 古臭いマッド・サイエンティストが自分で作った人造人間に対して「お前はこの科学帝国の力を世に知らしめるために生み出された実験生物に過ぎぬわ!ぬははは!」とか言ってる、アレ。 子供というのは結局の所、人間のオスとメスが合体と分解を繰り返して化学物質を混ぜ合わせた結果偶然生み出される生命体でしかない。我々もそんな科学実験の果てに生み出された実験生物に過ぎないのだ。 そんな生命体がどのように生きていくかなど、そもそも親の手に余ることだと思う。

だからもし僕に子供ができて、「生まれてきたくなかったー!」「だれが産めと頼んだんじゃボケー!」って言われたら「だって子供欲しかったからさー☆ごめんね(てへぺろ」って言う。あるいは「お前は所詮実験によって生み出された失敗作に過ぎぬわ。ふははははっ」って言いそう。

親が完璧な子供を育てようとすると、子供は親の完璧ではない所を見つけて憎む

子育てについて自分なりに肯定的なことを書いてきたけど、じゃあ自分の生や親を許したのかというとそんなでもない。

やっぱり「生きることは面倒くせーなぁ」と思うことはしばしばあるし、自分の親も可哀相な人だなとは思いつつも死なないと幸せになれないだろうという気持ちはまだある(この辺は冒頭の「死生観について」で書いた)。

シェアハウスに関わるようになってから親のことが苦手な人達にたくさんあってきたけど、彼らの親も極端な毒親というケースは少なくて、普通の親の範囲ではあるけども普通の親のくせに完璧な子供を求めた結果子供から憎まれているというケースが多いように思う。とんでもない親の話も何度か聞いたけど。

大した学歴や努力や成功もないような人間が自分の人生のリベンジのつもりで子供を育てても碌な結果にならない。ときおり厳しい教育環境で育った人が無差別殺人を犯す事件があるけど、極端な話そんなふうになるしそこまでいかなくても親を憎んだり、人との距離がうまくとれなくてニートになったり、精神病でなやんだりしがちだと思う。親の子供に対する依存もひどいことが多いし。

親が子供を厳しく教育しても親子関係が壊れないパターンは、親がその厳しさに説得力をだせるほどきちんとした人である場合だけじゃなかろうか。たとえば子供の成績をしかるなら、親も学年一位を取る程度には勉強ができたほうがいい。どんなことであれ一位を取ることは難しい。どんな分野であれ誰かから認められるほどの成果を出すことも難しい。子供に厳しくするのであれば親はその難しさを正しく理解していなければならない。自力で勝ち上がったり成果を出したりしてこなかった人間がそれを説いたところでいびつでしかない。子供がテストで98点をとっても100点でないことを叱ったりとかね。親より賢い子供は必ず親の弱点を見抜いて出し抜くものなので、親の厳しさが愚かさに基づくものであればそれは必ず見抜かれるし絡め取られるだろう。自分の人生も自分で歩めないような人間が、子供を使ってリベンジしようとしても結局自分の人生と向き合うしかないという現実があるだけだと思うのだが、なぜ愚かな人間は子供ができれば自分も変われるなどと楽観的に考えるのかわからない。

完璧な人間はいないし、完璧な子供もいない。そんなこともわからないような人間が、完璧な子供など育てられるはずもない。

そうやって子供に無理強いをしてきた親が、ゆくゆく子供に嫌われたとしてそれは十数年の無理強いのつけを払っているだけなので因果応報だなと思う。 「親孝行」って言葉も子供が使う言葉であって親の立場の人が使う言葉ではないわけで、子供に対して親不孝者だとそしったところでそれは論点がずれている。

まとめ

いかがでしかたか?(魔法の言葉)

自分の中の反出生主義みたいな気持ちと子供いてもいいかもーみたいな気持ちは相反するものじゃないなーと感じたので書いてみた。まぁごちゃごちゃ書いたけど、結局のところ所詮、私は結婚したら子供が欲しくなる程度の凡夫だったことへのいいわけです。あと、妻が育児雑誌を買っていたんだけど、チュートリアルを見せられるとつい試してみたくなるエンジニア的なサガがやはり自分にはあるなぁー…